09. 師走(FRI) 晴れ
竹橋の美術館へ「熊谷守一展」へGO!
初期からの作品が展示されているので、
晩年のあの画風になっていく過程を見ることができる。
光が後ろから当る、逆光での光のラインが
あの赤い線で表わされていたんだなと分かる。
暗闇の中に浮かび上がった女性の屍「轢死体」の絵。
その後も何度も登場するモチーフ。
目の当りにした人間の死、肉体、魂、魂の容れ物としての肉体。。。
実子の死にも何度も遭遇し、その死を描くことの苦悩。
それらの思いなどが吐露された記述。
その後、晩年に暮らした木造屋の庭で、生き物、雨、猫を写していく守一。
猫をことさら可愛がっていた様子が、絵に現れている。
初期の作品の綿密な絵から、晩年の赤い線で輪郭を描き、
単純化、まるで記号化されたような絵へと変っていく。
単純化された絵だけど、何度もスケッチを繰り返し、
何度も繰り替えし同じモチーフを描き続ける姿勢。
そのこだわり。
庭を観察し続けての有名な言葉、
「蟻は左の2番目の足から歩き始める」
どれだけ観察しても、それを見つけられるのは至難の技。
水たまりに落ちる雨の雫がはねて王冠をつくる様子を、
(ミルクが滴り落ちて、ミルククラウンが出来るような)
高速度カメラでスローモーションを撮影したような絵を描いている。
単純化された絵だとしても綿密なスケッチを何枚も繰り返したであろう、
その絵からは、雨粒が落ちて跳ねる様子がまざまざと感じられる。
海岸線、砂浜、海、動物、蛙、猫、シンプルな輪郭線、
少ない色数の中でも、選び抜かれた色と、
丁寧に塗り重ねられた画面は眺めるだけでも心地よい。
辛い経験や戦争の只中でも病で外へ思うように出かけられなくても、
身近なものを対象に、生き物、いのちの本質を描き続けた守一。
丁寧に描かれた輪郭線が、どこかミッフィーの面影を感じてしまった。。。
PCで簡単にトレースするイラストレーターが多い時代に、
丁寧に丁寧に筆で描くブルーナさん。
印刷する上で、指定した色が正確に表現されるように、
色数と種類を決めて組み合わせながら制作していったブルーナの絵と、
光と影を追い求め、光の輪郭線を描き続けた熊谷守一の絵。
スラスラッと適当に描いたのでは決して出来ないラインと色。
心和むという点で、猫やカエルや蟻などの小さな生き物たちを描いた絵を見ているうちに、
ブルーナさんの絵をちょっと彷佛としてしまった。
生前の守一の私物が公開されていた中で、
光を照らすためのランプなどの他に、
ネジや金具や豆電球などが雑多に入った箱もあった。
私の道具箱と全く同じようなものが展示されていて、何か親近感さえ感じてしまった。
我が家のベランダの小さな植木鉢の野花や水盤、
そこへやってくる小鳥たちの観察の楽しさを知っているので、
守一がどれほど嬉々として蟻やカエルや猫たちを描いていたかが分かる。。。
自宅アトリエの美術館にも足を運んでみたい。。。
美術館の所蔵品展示の会場も見に行く。
つくづくと、日本の洋画の画壇の主流が
海外の有名画家の影響が多大なんだなと。。。
オリジナリティを追求している画家の多くが、
派閥や画壇から抜け出しているのでは、とも思う。
権威あるところから認められてデビューも出来るし、注目も受けるし、
また仕事としても成り立って行くのだろうけど、
芸術家としての制作と、
ビジネス的アート制作は別のところにあるんだろうな、と思ったりも。。。
”眺めのいい部屋”から皇居の森を臨む。
展示会場を後にして、ギャラリーショップでポストカードを選ぶ。
猫絵のカードはコレクションにしている。
ポストカードはよく使うけど、猫カードは使えない。(笑)
P.S.
東京国立近代美術館。2階に”ミクニ”のカフェがあったけど、早々に営業終了になっていて、
展覧会を廻って喉がカラカラなのに他にドリンクコーナーも無く。。。
冷却水で飲むのも何だか。。。
そこかしこに結構広々としたスペースがあるのになあ。
バチカンの美術館でさえ、気軽に利用できる学食のようなカフェテリアがあったのに、
最近の都内の有名美術館や博物館のカフェは、
色んなニーズに向けて作ればいいのになあ、と思う。
ランチやティータイムを悠々と優雅に過ごせるカフェと、
学生さんや子供連れの家族が気軽に利用できるカフェ。
両方があったら、もっと外国人観光客もやって来れると思う。
東京は外国や地方にくらべると何でも割高傾向にあるし。。。
どこも”ハコもの”は立派だけど、
ゆったり心地よく過すための何かが大いに足りない。。。
”おもてなし”とは何ぞや、などと思いつつ、会場を後にする。(笑)
どこかで休憩したいけど、美術館を出たらあまりに殺風景で
憩いの場所があるとは思えない。。。
ふと、毎日新聞社が目に入った。
あのビルに行ってみるべし。
中に入ったことはないけど、思いのほか飲食店が並んでいる。
ファスト系のカフェも幾つかある。
ふと、スタバを覗くと店じまいかと思うほどお客さんがいない。
椅子もソファー席も選び放題。
ウチの近所に3軒~4軒もスタバがあるのに、これまでどこも座れたためしがない。
それなのに。。。ここは穴場なのかも。。。
美術館や博物館を廻って、見た感想などを話しつつ、
ゆっくりくつろげるってイイね。
そんな場所が、”ハコもの”の中にもっとあったらいいのにね。。。
若かりし、10代から20代のころ、フランスに憧れた時期があった。
ヘアスタイルもパッツンのボブスタイル。
女子同士では「可愛いー、パリっぽいー」などとウケて喜んでいたのに、
男性の先輩から、
「その髪型にすると、お前、クサマっぽいな」
と言われて、意味が分からずキョトン。
「クサマって何?人?誰?」と聞いても笑って教えてくれない。(笑)
その後、図書館で偶然作品集やエッセイの著書を発見して、
ちょっとショックな私だった。。。(笑)
でも、偉大なるアーティストに似てるんだったら、いいじゃない。(笑)六本木の国立新美術館の『草間彌生ーわが永遠の魂ー』展へGO!
水玉、網目、突起物などの独特のモチーフで表現し続けている草間氏。
若い来場客が多く見られて、口々に「可愛い、可愛い!」と大人気。
初期の作品と最新作の作風はかなり違っているけれど、
方や1作品に掛ける膨大な製作時間と、
1日1作品完成というくらいの凄まじいスピードで描き続ける膨大な作品群。
そのエネルギッシュな製作は高齢になった今も変わらずというのがすごい。。。
最初の展示室は写真撮影可だったので、みんな記念撮影でワイワイ楽しかった。
確か高校生まで入場無料だったので、小さな子供達も展覧会を楽しんでいた。
野外展示のカボチャは大人気。
カボチャの中に入れると聞いていたのに、
係員が「作品には手を触れないで下さい」とアナウンスしながら監視。(苦笑)
何かアクシデントがあったのか、もう自由に入れなくなってしまったのは残念。
撮影不可の展示の方が多いけれど、
何かのびのびした雰囲気があって楽しい展示だった。
でも本当は作品のテーマ自体は結構重かったり苦しかったりするんだけど、
草間氏自身がそこから解放されることを祈り続けて製作されているような作品なので、
見るものが何か救いのようなものを感じているのかな。。。
ミッドタウンの桜を見にいく。
桜を撮っていたら、小雨を感じてビルの中に。
晴天の霹靂とはこのこと。。。
あっという間に黒い雲がやってきたので帰路に着く。
その後は雷雨になりにけり。
花の嵐。。。
「ストリート・オブ・クロコダイル」で一躍世界に知られた双児の映像作家クエイ兄弟。
彼らが製作しているのはストップモーションアニメーションの作品。
日本でいうと、人形アニメ、クレイアニメなど、もっぱらお子様向けの作品が多いけれど、
彼らの作るものは子供向けのものではなく、
一節の詩や、短文、絵、音楽、また、アウトサイダー芸術などからもインスピレーションを受けて制作された独特な表現の世界。
彼らが敬愛するというチェコの芸術家ヤン・シュヴァンクマイエル氏も、
社会主義国だった当時のチェコで集会や発言、活動が制限されていた中で、
人形や人物を交えてのストップモーションアニメーションの作品を制作して世に発信していた。
制限があったからこその表現方法だったとはいえ、直接訴えるよりも深く広く、
本来の人の生きる有り様を観る者に実感、痛感させていたのでは。。。
なので、娯楽というよりも思想、哲学性の高い芸術作品だけど、もちろん、シニカルにも愉快にも笑える娯楽性もあって、
新作が発表されるのがいつも待ち遠しいくらい。
クエイ兄弟の作品は、そんなヤン・シュヴァンクマイエルや東欧の芸術作品の影響を受けたという背景もあるけれど、
彼ら独特の世界観と細部にこだわる映像美に観る者を圧倒する。
館内には、クエイ兄弟が撮影で使用したデコール(撮影セット)が置かれている。
「ストリート・オブ・クロコダイル」の仕立て屋のシーン(冒頭のチケットの写真に使われているもの)。
下は、「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」のもの。
ネジ釘のサビホコリ、文字、人形の造型のこだわりが隅々にまで見てとることができる。
人形の入ったセット=デコールは思いのほか小さなもの。
こんなサイズのものを撮影して作っていたとは思えないくらい。。。
鉛筆で描かれた絵画や直筆のタイトル文字など素晴らしくて。
最初はクエイ兄弟はヨーロッパの出自だと思っていたら、アメリカのフィラデルフィア出身というから驚いた。
アメリカにこんな芸術家が存在していたなんて、といったらアメリカに怒られるかな。。。
でも、きっとティーン時代は苦労したんじゃないかと想像もしてみたり。
(作品活動はイングランドに移っていたそうなので、ちょっと納得。)
フィラデルフィア出身といえば、デヴィッド・リンチも思い出す。
あの街の景観や雰囲気が彼らのような芸術家を生み出すのかな。
クエイ兄弟の鉛筆画とリンチの絵画が何処か同じエッセンスを感じたりもするのだ。。。
これはクエイ兄弟が来日した際に、この会場でライブ製作したという作品。
粉末化した牡鹿のムスクが中央のドームガラスの中にあるという。。。
クエイ兄弟の作品に度々登場する牡鹿。
牡鹿のムスク工場の跡に建てられた執事を育成する学校を描いた実写(?)作品、映画「ベンヤメンタ学院」にも、牡鹿のモチーフが沢山。
彼らがの映画をもう一度観返さないといけない、と思った。
昔見たインタヴューで二人は話すときに、「I am・・・」(一人称の私)ではなく、「We ・・・」と話すのを見た。
これほど一心同体の一卵生双児の彼ら自体が芸術作品のようにも感じる。
幾つかの映像の上映もあり、クエイ兄弟の作品好きなら必見の展覧会だろうと思う。
でも、展覧会場の殆どの展示物が、
作品上映、または演劇上演時の写真(!)だったりするので、そこはとても残念。。。
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