布のアイテムを制作しているけれど、
木彫は切り離せない。
元は木彫がやってみたくて、始めた物づくりなので、
薺nazunaに木彫は無くてはならないものになりました。。。
それで小物入れや袋ものには、
木彫りした前飾りや留め具がついているのです。

「樹と革と布と」という名前の小物入れ。
戦前の日本で作られていた生成の木綿布で仕立てたもの。
今のコットンに比べると、肉厚で木綿の繊維が豊かでフワフワしている。
織りや染めの凝ったものよりも、
こういう何でもない平織の昔の布にどうしても惹かれてしまう。

この布に、ひたすら針と糸で施したカンタ刺繍。
内側は京都の青土さんが中国の工房で制作された大麻布と、
ポケットにはイタリアの大麻布。
生成尽くしの小物入れ。
汚れるから、と生成や白は敬遠されるそうだけど、
私は古布やアンティ―ク布も生成や白が好き。
古びた白を先人が一生懸命白く晒そうとした手間のあとや、
植物の繊維そのものの色がとても惹かれてしまう。
そして、樹のそのものの色を布に合わせるのが好きだなと思う。

さあ、何を仕舞いましょうか。
それを考えるのが、また楽しいのです。
これは何に使うものなのか、どういうものに役立てるのか、なんて。
役に立つもの、機能性のあるものばかりも大事だけど、
特に、無くても、
なんとなく、このカタチが好きなので・・・
というのが、自分にとってはすごく大事だったりすることもあるのです。
何でもないものなのに、
手に取ったときに、なんだかホッと和むもの、
ちょっと嬉しい気持ちになるもの、
そういうものに、心惹かれるのです。
・・・・そういえば、
昨日、山崩れのことで専門家の談として話しているのを小耳に挟んだ。
日本の林業が衰退しているから山が崩れていく、と。。。
それを防ぐための林業なんだ、
というような話しだったけど、
でも、どうなんだろう。。。
まっすぐに伸びて、早く生育する杉の木ばかりを
植えてしまったこともあるのでは。
山の杉の木の根が岩肌の上の薄い表土しか這わなくて、
手入れもされずに伸び放題になって、
水を抱えきれずに山崩れが起こる。。。
近年、ずっと言われてきたのは、
太古の昔から山や森を作ってた広葉樹が無くなったからとか。。。
岩の隙間や割れたところに芽を出し、根をのばす、
広葉樹たちがいなくなったのもあるのだそう。。。
その中でも、
橅(ぶな)という木はその名の通り、
「木では無い」と言われ、
幹は不格好に曲がって、生育も遅くて、
製材できずに何の役にも立たない、薪にしかならないと言われて、
「橅」という名前をつけられたって聞いた。
同じような理由で沢山の橅の森が世界中から無くなって、
日本の秋田の辺りや、ヨーロッパでも
ほんのわずかの場所しか残っていないんだそう。
でも、その木では無いと蔑まれた木が、
山の水を守っているというのが、現代になってから分かったこと。
人間の都合で”役に立たない”と言われたものが、
本当は山を動物を水を、里の人の命を守ってくれてたんだな、と思う。
都合のいいもの、役に立つかどうかだけの物差しで見ていると、
大事なものがどんどん失われていくのだな、と思った。。。
それとはまったく関係ないんだけれど、
用途のないものの用途があってもいいよね、
と思ったりもします。。。(笑)