2019年 06月 22日
眼を休めつつ、カンタ刺繍。。。
やはり糸と針を持たないと心地よくない。
何か縫っていたい。
でも、凝視して縫えないので、
おおまかに、おおざっぱにでも楽しめるものを、と思うと、
そこはやはりカンタ刺繍!
(追記:”おおざっぱに”というと、誤解が生じるかも。。。(笑)
布の目を数えずに、きっちりステッチの糸足を揃えたりなど、
フランス刺繍やこぎん刺しのようなキッチリした刺繍じゃなくて、
とても自由で、自分流に進めていけるという懐の深いカンタ刺繍。
そういう意味なのです。ぺこり)
自由が丘のギャラリーでインドのカンタ刺繍のアンティークの作品を観たとき、
あまりの繊細さに驚いた。
刺し子用の糸はルーペで覗かないと見えないくらいの細さ。
布の織り糸とほぼ同じ極細のものだった。
貧しいインドの地方の村では多分、縫い糸が豊富にないので、
布の端から糸を引いて、カンタ刺繍の地刺し用の糸にしたのだろうか。
ルーペで確認しなくては刺し子しているのが分からないほど
繊細な手仕事のものだった。
ステッチのピッチもとても手縫いとは思えない細かなものも。。。
そういう本場の本物のカンタ刺繍を、
とても真似することなど出来ないほどだけど、
布に糸でステッチしていくことの楽しさを
シッカと感じられたカンタとの出会いだったので、
自分なりのカンタ刺繍を続けている。
望月先生も「何もルールもない。刺繍枠もいらない。目を数えなくてもいい。
何でもいいの。好きなように刺すのがいいの」とおっしゃってた。
それで糸の赴くまま、針の進むまま、
眼があまり使えない状態だけど、
どんどん針を進めていって、
紋様が浮き上がってくるのが楽しい。
私は藍地には藍の糸、生成りには生成りの糸で縫うのが好き。
模様は太陽にかざすと、浮き上がってみえる。
それが楽しい。
模様、装飾的なものじゃなく、
布の陰影、布の手触り、そんなものが好き。
まだまだ布の余白がいっぱいある。
埋め尽くすにはどれほどかかるかな。
でも、それもまた楽しい。
「カンタ刺繍」‼️
去年ころ? 初めて知って、望月真里さんの事もその時初めて知りました。
自由にと言われてもその「自由」が分からなくなってしまって
未だに憧れだけの世界です。
是非 今刺されてる分見せて貰えたら嬉しいです!
昔友人に貰ったピザパッチワークのキルトに刺してみたいなぁーと思ってます ♡
突然 失礼しました。
私もカンタ刺繍に出会ったのは最近なのです。
2年前になりますが、自由が丘の岩立フォークテキスタイルミュージアムでの望月さんのワークショップに友人が誘ってくれて。。。
インド人の職人さんやアンティークのカンタ刺繍は緻密で細かすぎて、とても自分がトライできるようには感じなかったのですが、
ワークショップで望月さんが、お孫さんの描いた絵を素朴なタッチで刺繍したり、小さな円から縫い始めて、まるでフリーハンドで描くように自由にステッチしていくのを見て、私もやってみたいと思うようになりました。
大きなステッチになったり、糸足が揃ってなくても、何でもいい、とにかくやってみること、と励まして下さって。。。
ルールにしばられず、針と糸で延々チクチクやっていたい私にピッタリだと思いました。
そういえば、インドで望月さんがカンタ刺繍をなさったときに、
インド人の女性の方がフランス刺繍のステッチを嫌がってその部分を全部解いてしまったって笑っておっしゃってました。(笑)
当時手に取って拝見させて頂いたアンティークのカンタ刺繍布の裏を見ると、
刺繍と織物の間の手仕事という感じがしました。
モチーフの模様も織物のように一段一段、縫い刺して表していくという感じで。
そういうのはこぎん刺しのようでもあり、
でも、布の目は拾わずにフリーステッチしていくんですよね。
奥が深くて、私はまだまだどういうのがカンタ刺繍なのか、
よく分からないまま、ひたすらチクチクやっているだけなのですが。。。
そんなワケでちょっとお披露目するほどのものではないですが、
今度画像をアップしますね。
生成布に生成糸のカンタなので、ちょっと写真に写りづらいかも。。。