2015年 07月 08日
江戸東京博物館「発掘された日本列島 2015」展 古代日本人の美意識
HPのニッキは2年分しかnet上で残していないので、
以前のニッキの中から少しずつブログの方へ移す作業。
カテゴリーやタグごとに分類されるので、
便利だということにやっと最近気づく。。。
整理整頓。
2015年 文月 7月8日 WED 雨
毎年恒例の「発掘された日本列島」展を見に、江戸東京博物館へ行く。
機織りをしている人物の埴輪が出土。
バラバラになっていたものを復元したのがこちら。
驚いたのは、実際の埴輪はこんなだったという完全復元模型。
赤と白の草間弥生風の水玉の衣装と、白と黒の台座のデザイン。
モダン!
古代の弥生人(勿論、縄文人も)は日本人の祖先だけど、
文化も宗教も風習も言葉も違えば、もう現代の日本人とは完全に異質で違う民族のようだと思う。
発掘物や当時の(おぼろげながら分かる)宗教感などを垣間見ると、
同じ土地に生きてこそいるけれど、固有の伝統の文化を受け継がなくなったら、
同じ民族とはいえないのかも。。。
それほどまでに古代日本人はいまの日本人と全く違う気がする。
衣服や装飾品の華美に勤しむことが無駄なものでは一切なく、
逆にいかに美しいものを作るか、研鑽して、また心を込めて作っていたような気もする。
どんな風にすれば美しく仕上るか、着飾れるか、
こういったことは本能からくる欲求なのではないのかな、と思う。
鳥類のオスが彩りの美しい羽をまとってメスに求婚するように、
(野生動物の多くは配偶者を選ぶ決定権をメスが握っているからなのかも。。。)
他者と区別する、個を際立たせる、という行為。
採集や狩猟生活をしていた時代は、1日1日を食べていくことだけでも大変だったはず。
それでも細々と暇を見計らってだろうけど、長い時間を装飾品を作ることに費やしていただろうと思われるような、
凝った作りのアクセサリーなどが出土している。
勿論、採集と狩猟生活から稲作生活に変わって貧富の差が生まれたことで、
貢ぎ物として宝飾品を作る職人達が生まれただろうけど。
古代に限らず、着飾るという本能はかつて江戸時代に華美に着飾ることを禁止されたり、
身分によって絹の美しい着物が御法度だったり。そんな時代の人々の智恵と執念(?)から、
現代にも受け継がれる様々な美しい伝統工芸が生み出されている。
飾りたい!という欲求がなければ、こぎん刺しだって染めだって、絣や紬だって生まれていないし。。。
それにしても、殆ど素材が何もないところから「美」を生み出す日本人の才能はなんなんだろうと感嘆する。
古来の日本人とは違う民族、などといったけれど、
環境に順応していきつつも、根底にあるものはそうそう変わらないということなのだろうか。
ワクワクするような古代日本人への興味はつきません。